令和3年6月3日で普賢岳大火砕流は30年

30年以上も前の事ですが、今でもはっきり覚えています。

突如として噴火を開始した普賢岳(確か尾根筋からだったと思う)

雲仙が活火山だったことを改めて思い知らされた事件、と言った方が良いかもしれないですね。

43名の犠牲が出たのは、火砕流という火山独特の危険な噴火によってでした。

しかも

犠牲者に報道関係者が多かったことで、災害報道のあり方がこれ以降大きく変わったとされています。

その後も阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、御嶽山噴火などなど自然災害は連続し

これからも続いていくでしょう。

そう考えれば我々など自然に比べればちっぽけな存在ですね。

そして

この国は自然災害と切っても切れないようです。

今では

登山が解禁され、溶岩ドームを目前で見ることができ、多くの登山客が訪れる山だけど

尊い命が一瞬で失われたことも忘れてはいけないでしょう。

それでも

雲仙は古い歴史と人との繋がり、独特の自然と景観を持った

素晴らしい山には変わりはありません。

<つづく>

 

 

6月3日の毎日新聞普賢岳大火砕流30年に大きくページを割いている

6月3日の毎日新聞普賢岳大火砕流30年に大きくページを割いている

43名の命が奪われている

43名の命が奪われている

この記事を書いた人

福岡山の会 会員